2003年度号外第2号  <号外>       (2)
夢が丘高等学校新聞部発行
発行責任者(部長)   君島 勉 (2年6組)
2003年(平成15年)3月21日(金)発行     

 前回から号外としてはじまった「劇団6番シード」特別レポート(全6回予定)、予想を上回る反響に喜びを隠せない部長君島勉をはじめとした記者一同である。
 前回号で次回公演『ペーパーカンパニー ゴーストカンパニー』(略称は『ペパカン』)についてのストーリーなどの概要はお分かりいただけたかと思う。もちろん更なる詳細を今後もお届けする予定ではあるが、号外第2号の今回は原点に立ち返り今年10周年を迎える6C歩みについてレポートする。
10年前って?
 本紙記者の調べによると劇団6番シード(以下6C)は1992年12月結成し、1994年5月に旗揚げ公演を行っている。つまり今年で丸10年間、小劇団としてはかなり息の長い劇団と言えるのではないだろうか。1992年といえば我々高校生は小学校に入るか入らないかのわんぱく盛り。アメリカでは米大統領選が行われ、民主党のビル・クリントン候補が第42代大統領に当選、
宇宙への夢が
飛躍した年
バルセロナオリンピックでは200メートル平泳ぎの岩崎恭子が五輪競泳史上最年少の14歳で金メダル、日本人初の米スペースシャトル飛行士となった毛利衛さんが米航空宇宙局(NASA)のシャトル「エンデバー」でケネディ宇宙センターから打ち上げられた。
ねっと特典の歴史
 そんな感動にみちた1992年に産声をあげた6C、さっそくその10年間の歩みを紹介していこう。だが、わが夢が丘高校新聞はありきたりな情報は掲載しない。そういったことは劇団のHPのコーナー history(過去の公演履歴)やちらしギャラリー(過去のチラシ一覧)を見て頂く事にして、今回は「ねっと特典の歴史」について紹介しよう。「ねっと特典」とは、HPから公演チケットを予約すると来場時に特典としてちょっと小粋なプレゼントをくれるというものである。2000年4月公演の「傷心間の幽霊」から始まったこの特典も6Cの大きな特色になっていて、いまでは毎回楽しみにしている常連客もいるらしい。
公演名 ねっと特典
2000年
4月
傷心館の幽霊 オリジナルブレンドのコーヒー豆。喫茶店「傷心館」にちなんだ商品
7月 MUKAIYAMA
ザ・トラブルマスターズ
混ぜるな危険とかかれた容器のシャンプーリンスのセット
探偵宍倉権蔵ご愛用品。
12月 露の見た夢 圧政に虐げられた砂漠の民
マサロ人のイメージで砂時計
2001年
4月
桐の林で二十日鼠を殺すには ごんじいが丹精こめて作り上げた特製備長炭を五井沢新聞でラッピング
7月 星より昴く 題名と七夕にちなんでこんぺいとうちなみに受付にはゆかた美女がならんだという情報も
9月 ホテルニューパンプシャー206 パスポート風メモ帳
紅い華 紅い華のポプリ
11月 百年の夜が明ける朝 御曹司甲斐堂勝が所有している温泉の入浴剤
2001年
4月
FUNTRAPS あけてもあけても中からでてくるトラップ付ポストカード
7月 ミキシング・レディオ 人気アイドル キットカットの新曲「純愛エクスプレス」CD
12月 コンクリートダイブ 演歌歌手鮎川葵のデビュー曲「哀しみのリオデジャネイロ」CD

拡大写真 拡大写真 拡大写真
「傷心館の幽霊」
オリジナルブレンドコーヒー
「MUKAIYAMA〜」
シャンプーリンスセット
露の見た夢
砂時計

歌詞カード 歌詞カード
「ミキシング・レディオ」
純愛エクスプレスCD
「コンクリートダイブ
悲しみのリオデジャネイロCD
<その2>  久間勝彦氏は何処へ
 「劇団6番シード10周年」ということで忘れてはならないのが主宰の久間勝彦氏。今回のテーマに彼のコメントは必要不可欠であることは言うまでもない。久間氏への突撃インタビューを試みて3月某日上石神井の稽古場に潜入した。
 休日の午前中だというのに演出家松本陽一氏の檄が飛び、熱の入った稽古が行われていた。が、当の久間氏が見当たらない。稽古中の役者に声をかけるわけにもいかず困惑しているとキッチンからひとりの女性が声をかけてくれた。
天田さんは語る
この人が稽古場便りで話題の賄い料理をつくっているスタッフの天田晶子さんらしい。彼女によると久間氏はいつもお昼前後にやってくるとのこと。天田さんの料理を手伝いながら待っていると、ほどなく久間氏登場。「君は見学か」と、柔和な笑顔の紳士である。早速取材の主旨を話し、インタビューを申し込む。「そういうテーマならぜひコメントしたいけど、今ちょっと忙しいんだよな」と言いながらパソコンに向かい、時折賄いの皿をならべたりしてさらなる紳士振りを発揮。そのまま昼食の時間になったので役者に混じって賄い料理をごちそうになる。食後インタビューを決行すべく久間氏を探すがまた見当たらない。若い役者のひとりに聞いてみると「ああ、さっき帰りましたよ。つぎいつ来るかなんてわかんねっす。」とのこと。さらに「インタビュー?久間さんにそういうのは期待しないほうがいいですよ。前科がありますから。」と遠い目をする茶髪の彼。「久間氏への執筆、インタビューの依頼はだめもとで」は劇団内であたりまえの話しらしい。
 それから1週間、記者の必死の追跡にもかかわらずいまだ久間氏の足取りはつかめていない…。
こんなこともありました
2000年4月公演「傷心館の幽霊」では、6C史上最初で最後となった伝説の「次回公演予告」が行われた。客電が落ち、本編が始まると見せかけて始まった予告編。当初は公演終了
早着替え直後(2000年
「傷心館の幽霊」より)
後の予定だったが、そのインパクトの強さが本編の余韻を壊すのではという配慮から、急遽本編前に変更になった。そこで問題になったのは本編の最初のシーンに登場する宇田川とあづさの、予告編終了から本編開始までのたった2分間での衣装チェンジ。劇場の舞台袖は狭く着替えは困難を極めたらしい。「衣装を舞台袖に置きっぱなしにはできないので男性役者に片付けてもらいましたよ。何で俺がストッキング持って歩かなきゃならないんだ、って怒られましたけど。でも回を重ねるごとに彼も要領を得たみたいで、千秋楽には自分から着替えを手伝ってました」とあづさは言う。

 また2002年4月に行われた萬スタジオ”FUNTRAPS”のリハ中、下手袖幕で仕掛係として待機していた小沢和之氏。身体が壁のボタンに触れいきなり搬入用エレベーターが作動してしまった。続行危険と判断しリハは中断されてしまった。調べによると同スタジオの搬入エレベーターは下手役者待機スペースとして使用されるのが慣例であったが作動ボタンがそのまま暗闇に放置していた模様である。本番に発生しなかったのが不幸中の幸いだったと言えるのかも知れない。

学割チケット
 10周年というのは劇団自体にとってももちろん大きなことである。6Cでは10周年記念公演『ペーパーカンパニーゴーストカンパニー』において2つの試みがあるという。ひとつは学生割引。一般前売り2800円のところ高校生以下は1500円という我々高校生にはなんとも嬉しい企画だ。ただしこれは劇団扱いチケットのみ。ぴあでは学割チケットは扱っていないらしいので要注意だ。当日は受付で学生証の提示を求められるらしいから忘れないようにしよう。詳しくはHPをチェック!
バリアフリー対応
 そしてもうひとつは「バリアフリー」。次回公演「ペーパーカンパニーゴーストカンパニー」の会場となる東京芸術劇場小ホ

佐瀬勉氏によるシンボルマーク
ール2はホールやトイレなどにバリアフリー対応がされている。さらに6Cでは受付に車椅子の観客対応スタッフを配置し、他の観客より30分早く受付を開始するとの配慮。事前に連絡すればより的確な対応も考えているということだ。6Cでは次回公演での対応にとどまらず、小劇団でのバリアフリー対応を呼びかけている。ホームページにて対応を用意している劇場や団体の公演情報を募集し、小劇場のバリアフリーについての情報交換を呼びかけている。


 劇団6番シードの看板役者、富沢謙二。6C結成と同時に始まった彼の役者人生、彼自身の10年間もすなわち6Cの歴史といえるだろう。上記の久間氏と同様、こういった原稿の依頼には積極的ではなく、石神井台5丁目回覧板もたった1回で打ち切りという過去を持つ彼だが、記者の不安をよそにその10年間の想いを語ってくれた。
特別コーナー「10年目の告白 by 富沢謙二」と題してその熱き想いをあますことなくお届けする。
6番シード結成メンバーの僕も2年位やめてた時期がありました。第2回公演『星より昴く』が終わってすぐくらいだったと思います。やめてよそで芝居をやるわけでもなく、毎日居酒屋でバイトして、自分でももうこのまま役者はやらないんだろうなと思っていました。

富沢謙二青春の地
そんなある日、当時僕が働いていた居酒屋に、久間さんが一人でやってきたのです。所沢に住んでて池袋に仕事場があって酒の飲めない人が、わざわざ新小岩の居酒屋に何しに来たんだろうと思いました。話の内容は、次の公演(旗揚げ公演『桐の林で二十日鼠を殺すには』の再演)に出ないかというものでした。役も初演のときと同じ役で。まさかそんな誘いをしてくれるなんて思ってもみなかったので正直うれしかったです。でもその場で断りました。今いるメンバーに悪いっていうのもあったし、何より2年間何もやっていない奴が、1ヶ月の稽古で舞台に立てるわけがないっていうのがあったからです。帰り際「また来るよ」なんて久間さんが言ってたんですけど、三日後ほんとに来たんですよ(笑)。気持ちはかなりゆらぎました。それでもふんぎりがつかない自分がいました。それから何日か経って、家に大きめの封筒が届いたのです。久間さんからでした。中身を見て僕は頭の中が真っ白になりました。『桐の林で二十日鼠を殺すには』の台本が入っていたのです。今度は体の中が熱くなってきました。まるで魔法にでもかかったように夢中で読みました。読み終えた時確信しました。
舞台「桐の林で二十日鼠を殺すには」より
自分はやっぱりこれがやりたかったんだと。その日のうちに久間さんに電話を入れ、やらせて下さいとお願いしました。その週の土曜日から稽古に参加させてもらい、千秋楽まで本当につっ走りました。公演が終わった瞬間、涙があふれてきました。やって良かったと心の底から思えました。あの時久間さんがバイト先まで足を運んでくれなかったら、台本を送ってくれなかったら僕は役者を続けてなかったと思います。
直接は照れくさいのでこの場をかりて言わせてもらいます。
ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。


次回予告!
                            乞うご期待!!