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宇田川美樹〜1999年〜 |
はいっ、というわけでね。宇田川です。紅い華は私が6cに入って3回目の公演。確か。私客演の関係で音響スタッフで参戦いたしました。入団して2回しか芝居してないのに客演かよっ!!みたいなね。(しかも、OFFOFFと中野ザポケット。やりすぎです。。)今じゃ許されません、そんなこと。。
この公演に、現メンバーの小沢和之とあづさが観に来てましたね。そのまま入団。ちなみに、小沢ゴッド和之さんはお釈迦様の声で出演してました。私稽古にも後半合流したのでエピソード少ないですけども、いいですか?!
稽古中に久間さんが附田さんや他の共演者さんに「今のままじゃ金とれないぞっ!!」と叱咤してました。同じ言葉を飲み会で激励風にいったら松本陽一にマジで切れられました。
「そんなこと役者にいうんじゃねーよっ!!」とかなんとか。
あたしの言葉じゃないんだけどなぁーと。しかも激励風に言ったのに・・・。
内心逆切れです。とんがってましたから、若さゆえ。
楽日に皆が荷物を劇場に置いて打ち上げ会場に行ってしまい、何人分の荷物だよこれっていうくらいの量を何度も往復して運びました。スタッフを何だと思ってるんだ!!テメーの荷物ぐらいテメーで運べやっ!!とメッチャ機嫌悪かったです。そんな私を、「耐えろ・・・(笑)」と支えてくれたのは、須貝さんでした。
・・・・そんな私も音響でミスって泣いて楽屋に誤りに行きましたけども。でも。みんな大丈夫だよとか優しい事いってくれるんで、怒鳴られた方がましだよ・・・とミスって泣いときながらむかついてました。とんがってましたから・・・。そんなこんなで、私宇田川、暴れ馬な時代でしたね。 |
附田泉〜1999年〜 |
あれは、私の初舞台の「ON THE WAY HOME」という公演が終わって、間もないある日の稽古中、みんなで昼食をとってる時に言われたんですよ。
「次は紅い華やろうと思っててね、明蘭は附田でいこうと思ってるんだ。」突然の久間氏の言葉に入団したての私は驚く以外ありませんでした。
“えっ!?明蘭ってあの明蘭!絶世の美女だとか天女だとか言われてる明蘭でしょ。無理です!”
それからは本当に大変でした。所作から言葉遣いから何から何まで全て苦悩の日々。
出来なくて出来なくて、稽古場に行くのがつらかったー。
そういえば、稽古場にしてた区民館の方に通し稽古をみてもらったんですよ。私、セリフがとんじゃって真っ白になったこともありました。芝居とめちゃったんですよ。先輩の助けで切り抜けたんですけど。そんなこともありましたね〜。
あれから8年。あの作品が再び蘇るんですね。 |
あづさ〜1999年〜 |
実はワタシ、紅い華は6C作品の中では2つしかない「出演経験のない」作品。しかしながら、ワタシにとっては運命的な作品。
というのも、この「紅い華」がワタシの6C人生の始まりだからなんです。
この作品に出会わなければ、ワタシは今頃大富豪と結婚していたかもしれません。キャリアウーマンになって、颯爽と丸の内を歩いていたか(略)
まだピチピチの大学生だった時分、劇団を探そうかなーと、なんとな〜く見ていた演劇サイトから、なんとな〜くリンクされていた6Cのホームページになんとな〜くアクセスしてみたんです。その頃のHPはまだ、主宰自ら作っていてとっても内輪な感じで。雰囲気はなかなか良さそうだなーと思って、隅から隅まで読んだんです。
それがちょうど「紅い華」の再演の間近だったんですね。
早速ワタシは久間氏に電話して、入団希望の意志を伝えたところ、じゃあもうすぐ公演があるからとりあえず観に来てよ、と。なので、行きましたよ、王子小劇場へ。小さな劇場でお芝居を観るのが初めてで。密かに涙しちゃったりなんかして。附田泉の明蘭や松本陽一の儀傑、今でもハッキリ覚えていますよ。
帰り際、アンケートにこう書いて、劇場を後にしました。
「是非こちらでお世話になりたいです。よろしくおねがいします」
後日、無事入団を果たし、初めて稽古に参加した日、絶世の美女・明蘭を演じていた附田泉が、鼻の穴を最大限に開き、広い肩を揺らして、ゲラッゲラ爆笑している姿が目に飛び込んできました。
入団初日にして、役者の恐ろしさを、身をもって体験したのでした。 |
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