久間は稽古場にある物置小屋の錆びた扉を開け、一番奥にしまわれた鎧を取り出した。
「これがモンゴル兵3号機だね」
改良を重ねた三番目という意味だ、と付け加えた。
続いて屋根裏部屋のダンボールから、紫色の僧衣、皮で出来た胸あてを取り出した。
「この僧衣が祭司長ラビナス、こっちが千騎長ハンガス」
そして一番奥から、2メートル強の長い槍を引っ張り出した。
「これと同じ型の武器を15本くらい作ったかな。当然木製」
2000年12月公演「露の見た夢」。遥かいにしえの砂漠都市を舞台にした歴史長編。久間としても全く新しいジャンルだった。
槍の柄の部分に、小さな文字で日付が記されていた。
―2000年11月30日小屋入り前日、朝5時完成―
「作った本人のいたずらだろう」
と久間は目を細めた。
2000年9月。「露の見た夢」製作開始日、久間はこの壮大な物語に武者震いした。
「大変だとは思うが、頑張ろう」
登場人物する民衆15人、兵士9人、オールキャストで40人強、作品の舞台は紀元前、衣裳も、小道具もすべて一から作らなくてはならなかった。
衣裳100着、剣20本、槍15本、鎧12着…。
「絶対に間に合わないと思いましたね」
当時の制作担当者は、別の意味で震えた。
現在も劇団で活動している田中寿一、妹尾伸一、春日雄大、嘉山理絵は、当時のエキストラ募集での参加だった。
嘉山は見学に行った日をこう振り返る。
「稽古を見てたらいきなり二階に呼ばれて、気がついたら衣裳を縫ってました」
田中は最後の参加者だった。久間は開口一番、田中に尋ねた。
「君は兵士だ、剣は使えるよね」
「はい、使えます」
反射的に返事をした。どんな話か知らなかった。
第一回衣裳あわせの日、祭司長ラビナス役の松本陽一は、資料を元に作成されたエジプトの壁画のような衣裳を身に着けた。上半身はサテン地の布を胸の前でクロスしただけのもの、下半身は腰巻が一枚、そして裸足だった。
「すいません、少し動いただけで乳首が見えてしまうんですけど…」
ほとんど半裸だった。
「確かにリアリティはあっても、ちょっと恥ずかしいなこれ」
久間も頭を抱えた。
「自分で布を探してくるんで、他のデザインにしてもらえませんか」
松本は泣きながら懇願した。
膨大な試行錯誤を繰り返すうち、稽古場の二階は縫い物工場と化し、地下のタタキ場は24時間営業になっていた。
民衆の衣裳は、紅茶染めで汚れを出し、泥で洗濯した後乾燥機にかけられた。西日暮里の布問屋は顔パスになった。
武器はすべて木製だった。ボツとなった試作品が山を築いた。
兵士の長、ハンガス役の小沢和之は地下でも兵士役の役者たちと武器を作り続けた。
「違う、その身分の兵士の柄はもっと長いんだ!違うよ、それじゃなぎなただろっ!それで人が殺せると思ってるのか!そのなまくら刀で俺を切ってみろ!」
かなり危ない状態だった。
久間が地下に降りると、役者の一人が黙々と彫刻刀で楯に模様を刻んでいた。
「あの、舞台だから、そんなに細かく仕上げなくても…多分お客様には見えないんじゃないかな」
久間は労いの言葉をかけた。
「いえ、ハンガス様の命令です。兵士は、その装飾にこだわってこその美学だと」
意味が分からなくなっていた。
衣裳や小道具に追われ、肝心の舞台装置も遅れていた。久間は稽古場にある老人を呼んだ。練馬区で長年大工をされていた元棟梁だった。
「ああ、こんなもん3日もあれば出来るよ」
棟梁はそう言って地下に消えた。
一週間後、棟梁と供に装置を担当した富沢はようやく棟梁から完成の言葉を聞いた。
「もの凄くこだわりはじめちゃってさ、木の材質から設計まですべてやり直したんだ。多分50年は壊れないセットが出来たんじゃないかな」
千秋楽、その装置は10人ががりでも壊せなかった。
本番3日前、祭りのシーンで使われる7メートル四方の大布が縫い終わり、衣裳部はその全工程を終えた。舞台の幕が上がる前に歓声と拍手が沸き起こった。そして2分後、あちこちからいびきが聞こえていた。
地下の残り作業の最大の難関は敵国のモンゴル兵士の鎧6着だった。小沢も久間も稽古で不在。残されたメンバーで試行錯誤の上、量産体制に入った。
久間が稽古を終え、死体のように転がる衣裳部のメンバーの横を通って、地下に降りた。エキストラ参加の妹尾が自信満々で迎えた。
「この鎧の材質、何じゃ思います?貝殻ですわ、デカイ貝殻。銀に塗ったら、ほら、鉄の鎧に見えるでしょう。予算もゼロです」
起死回生のアイデアだった、と誰もが思った。しかし、久間は顔を歪めた。妹尾のアイデアは確かに鎧としてはよかった。しかし、形は西洋だった。
「この鎧は西洋だ。モンゴル兵、つまり東洋の形ではない」
全部ボツ、久間がその言葉の重さに躊躇していたとき、メンバーの誰かが言った。
「よし!全部ボツだ。一から作りなおしだ」
不思議と歓声が起こった。時計は夜の12時を回ろうとしていた。
「結局、小屋入り前の三日間は稽古と制作でかなりの人間が徹夜したんじゃないかな。映画だったら、撮影の都合なんかもあるから徹夜もザラなんだろうけど、舞台でこんなことはまずないよね」
久間は地下に飾ってある楯を眺めながら、当時を振り返った。
「あ、そうそう、今だから言えるんだけど、本番前日にどうしても足りないものがあってね、それは処刑場に立てられた二本の長い杭だったんだけど、材料を買い出しに行った近所の雑木林に転がってた丸太を夜中に拝借して使ったんだ。もし持ち主の人がいたらごめんなさい」
地下のタタキ場に今でも残っている棟梁の舞台装置の上に座って、久間はそう謝罪した。
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