久間は劇場の客席に腰をおろし、頭上に見える天井を眺めていた。
「そうか、もう二年になるのか」
地下二階にある劇場。高い天井が特徴的だったのを久間は思い出していた。
「今回はどんなセットで行きますか」
美術担当からの声で久間は我に帰った。
2004年、6月初旬。二年ぶりの新作となる「ラストシャフル」の舞台となる大塚萬スタジオ。劇場下見だった。
「今回は、金持ちで車椅子のおじいさんが暮らす普通の家。まあ車椅子用のエレベーターなんかもあるから、ちょっと普通じゃないけど、とにかくリアルなセットにしよう」
最近入った新人役者が美術担当の採寸を手伝いながら久間に尋ねた。
「2年前にもこの劇場を使ったんですよね。どんなセットだったんですか」
「あの時はね…階段だよ」
「階段?」
「そう、階段だけだった」
2002年、2月。大塚萬スタジオ。劇場の下見をした久間は、その高い天井を眺めてスタッフに言った。
「今回の、『FUN TRAPS』は何でもありのお祭り芝居にしたいんだ。だから場面なんかもメチャクチャに変わるし、テンポよく行きたい。だからこの高さを生かした立体的で抽象的なセットがいいんじゃないか。なおかつシンプルで」
出来上がった図面には、シンプルな骨組みで作られ4箇所に階段のついた立体造形が描かれていた。
「階段だけですか?」
新人役者は聞き返した。
「場面転換がもの凄く多かったからね。だからシンプルなセットにしたんだけど」
「今回とは全く逆ですね」
「とはいっても色々あったな。宇田川が高所恐怖症って劇場に入って知ったり、宙吊りになった妹尾が降りてこれなくなったり、あと楽屋が地上二階にあったんで、舞台でも階段、舞台裏も長い階段ってことで、休憩中に楽屋に誰もいかなくなったり」
「よく覚えてますね」
「失敗は忘れないんだよ」
さとう波子は「FUN TRAPS」がデビューだった。出演時間は26秒だった。
初めて台本を渡された日のことをさとうはこう述懐する。
「最初の5ページ目くらいに、いきなり『壁にかけてあった絵画が消える』っていうト書きがあって、なんて凄いんだろうって思いました。どんな仕掛けでやるんだろうって」
さとうは昂ぶる気持ちを落ち着かせ、久間に直接質問した。
「あの、どうやって絵を消すんですか?」
久間は事も無げに答えた。
「じゃあ来週までに考えてきて」
ノープランだった。
「絵が消えるかどうか、それしか頭にありませんでした」
女弁護士、天津風涼子を演じた附田泉は、本番前に何度も絵を消すリハーサルを行った。
「でもね、初日に絵に布をかけて、さあ仕掛けを引っ張ろうって時に、びろんって変な音がしたんです。何かが切れたような。とても重要な仕掛けの一部の何かが切れたような」
舞台初日、絵は一分あまり消えなかった。
「時間が永遠になるってこういう時のことを言うんですね。私が悪いんじゃないの。私は悪くないいい。初日にご覧になった方、ごめんなさいいいいい」
走って逃げ去った。
「いろいろ失敗があったんですね」
新人役者は夢中になっていた。
「他にも、何の気なしに書いた大福を食べるっていうト書きで、最終的に女優に200個くらい大福食わせるはめになったり、話せばきりがないかもね」
下見を終え、劇場の扉を開けながら久間は答えた。
「お客様と一緒に笑える失敗もあれば、本当に笑えないものもある。そんなことをいっぱいしてきたんだ。なかなか成長しないな。9月の『ラストシャフル』は何もないといいけど。何かあるんだろうなあ」
そう言って久間は長い階段を登りはじめた。
「この階段みたいに一歩ずつだよ。次が23回公演だから、今は23段目」
おわり
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